凱旋門賞、日本馬はなぜ勝てないのか — 38回を数え直す
結論 — 裏づけが硬いのは斤量、いちばん脆いのは能力不足説
先に答えを書きます。よく挙がる理由のうち、数字の裏づけがいちばん硬いのは斤量です。次が馬場——ただし「道悪だから負ける」という形ではありません。日本馬の2着4回はすべて馬場の渋った年に出ていて、良馬場の年のほうが日本馬の着順が良い、という事実は見あたりませんでした。逆にいちばん脆いのは「日本馬の能力が足りない」という説で、他の国際G1の結果を見るかぎり、単純な能力不足では説明がつきにくくなります。なお斤量が硬いというのは「一次資料で確かめやすい」という意味であって、これ一つで38回すべてが説明できるわけではありません。同じ斤量条件で欧州の古馬は勝っています。
数の確認から。この38回は、当サイトが2つの出走一覧を突き合わせて数え直したものです。実頭数では35頭で、ナカヤマフェスタ、オルフェーヴル、ディープボンドが2回ずつ走っています。優勝はまだありません。着順の分布は2着4回、4着2回、5着1回。一桁の着順に入ったのが13回、二桁着順か着外が24回、これに失格が1回あります。2006年のディープインパクトは3位入線でしたが、レース後に禁止薬物が検出されて失格になっているため、ここでは3着内に数えていません。
つまり「出走すればだいたい二桁着順」というのが56年の実態で、2着4回のほうが例外です。まずその例外から見ていきます。
2着4回の中身 — 3回足しても1馬身に届かない
4回の顔ぶれは、1999年エルコンドルパサー、2010年ナカヤマフェスタ、そして2012年と2013年のオルフェーヴルです。着差は、エルコンドルパサーがモンジューに半馬身、ナカヤマフェスタがワークフォースにアタマ差、2012年のオルフェーヴルがソレミアにクビ差。この3回を足しても、合わせて1馬身に届きません(2013年は着差の記録が資料によって割れているので、ここでは省きます)。
4回には共通点があります。全部が4歳以上の古馬で、全部が馬場の渋った年。そして全部が、フランスの前哨戦フォワ賞を使ってから本番に向かっています(エルコンドルパサーは春から欧州に滞在し、サンクルー大賞を勝ったうえでフォワ賞から臨みました)。4回のうち2回は蛯名正義騎手と二ノ宮敬宇厩舎という同じ組み合わせです。
いっぽう2016年以降で5着以内に入ったのは、2023年スルーセブンシーズの4着と2025年ビザンチンドリームの5着だけ。2着4回が1999年から2013年に固まっているのはたしかですが、年ごとに出走頭数も顔ぶれも違い、38回のうちの数回を並べただけです。近づいた、遠ざかったと言えるだけの材料はありません。
いちばん硬い数字は斤量
斤量の話が硬いのは、数字を全部一次資料で取れるからです。JAIRS(ジャパン・スタッドブック・インターナショナル)が公開している2026年の登録要綱では、3歳が56.5kg、4歳以上が59.5kg、牝馬はそこから1.5kg減。せん馬は出走できません。
日本のG1と比べてみます。ジャパンカップは3歳56kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減。凱旋門賞の古馬牡馬はジャパンカップより1.5kg重く、3歳との斤量差もジャパンカップの2.0kgに対して3.0kgあります。古馬にとっては、日本のG1より重いものを背負って走ることになります。
ここが日本馬の結果と噛み合います。日本馬が上位に食い込んだのは5回——2着の4回に、失格になった2006年ディープインパクトの3位入線を足した5回です。その全部が、59.5kgを背負った古馬でした。そして負けた相手は毎回それより軽い馬です。1999年のモンジュー、2006年のレイルリンク、2010年のワークフォースはいずれも3歳で56.0kg、2012年のソレミアは牝馬58.0kg、2013年のトレヴは3歳牝馬で54.5kg。1.5kgから5.0kg軽い相手に、半馬身やアタマ差で敗れてきました。もっとも凱旋門賞はもともと3歳の勝ち馬が多いレースなので、「相手のほうが軽かった」こと自体は珍しい出来事ではありません。斤量差が着差を生んだのかどうかまでは、この5回からは分かりません。
その3歳偏重は主催者側も手を入れていて、2017年から3歳の斤量が0.5kg引き上げられました。2000年から2016年までの勝ち馬17頭のうち11頭が3歳だったことが背景と説明されています。改定後の2017年から2025年では、3歳の優勝は9回中3回です。ただし9回の観察なので、引き上げの効果かどうかまでは分かりません。そもそも斤量条件は欧州の古馬にも同じようにかかります。これは「古馬で挑むときの逆風」の説明であって、日本馬だけが勝てない理由にはなりません。
馬場とコース — どちらも半分だけ当たっている
時計の差は実在します。凱旋門賞のレコードは2011年デインドリームの2分24秒49で、ジャパンカップのレコード(2018年アーモンドアイ)の2分20秒6より4秒ほど遅い。馬場が渋った年はさらに時計がかかり、近年では2022年が2分35秒71、2024年が2分31秒58でした。同じ芝2400mでも中身は別物だ、というのはこの数字からも言えます。
現地に行った騎手からは、繰り返し同じ言葉が出てきます。2017年にサトノダイヤモンドへ騎乗したC.ルメール騎手は「日本の馬場と全然違う」と言い残しました。ただ、その違いがどれくらいなのかを数値で裏づけようとすると手が止まります。フランスはペネトロメーターという器具で計測し、数値が大きいほど軟らかいことを示すのに対し、JRAのクッション値は向きが逆で、数値が大きいほど硬い(こちらの読み方は馬場の記事にまとめてあります)。物差しの向きも思想も違うので、両者の数値を並べて比べることはできません。
ただ「道悪だから負ける」という形にすると、数え上げと合わなくなります。日本馬の2着4回は1999年、2010年、2012年、2013年——いずれも馬場が渋った年です。馬場を確認できた年の範囲では、良〜稍重だった2023年もスルーセブンシーズの4着が最高で、良馬場の年に日本馬が上位を占めた例は見あたりません(2002年・2004年・2008年・2020年は馬場の信頼できる出典が取れず、当サイトの集計から外しています)。良い馬場を待てば勝機がある、という話ではなさそうです。もっともこの4回は、エルコンドルパサーやオルフェーヴルという道悪をこなす馬が行った年でもあります。馬場の影響を見ているのか馬の資質を見ているのかは、この数だけでは切り分けられません。
馬場と並んでよく挙がるのが、コースの形です。ロンシャンの2400mには最大2.4%の登りと、フォルスストレートと呼ばれる紛らわしい直線があります。ただしこの説には強い反証があります。ロンシャンの改修工事で2016年と2017年は平坦なシャンティイ競馬場での代替開催になりましたが、日本馬の成績は2016年のマカヒキが14着、2017年はサトノダイヤモンドが15着、サトノノブレスが16着。コースの起伏が無くなっても結果は変わりませんでした。
38回をローテと馬齢で数え直す
当サイトのやり方で、38回を前走のローテ別に数えてみました。フランスの前哨戦を使ったのが延べ18回(フォワ賞14回、ニエル賞4回)、日本のレースから直行が14回、欧州の別路線を経由したのが6回です。
3着以内に入った4回は、すべてフォワ賞経由でした。日本から直行した14回では最高が2023年スルーセブンシーズの4着で、2着以内は一度もありません。ニエル賞経由は4回しかなく、最高はキズナの4着。この数では傾向と呼べません。そしてこれを「フォワ賞を使えばいい」と読むのも早すぎます。前哨戦経由が主流だったのは2013年ごろまでで、直行が増えたのは2014年以降です。時代が変われば輸送環境も、挑戦する馬の顔ぶれも変わります。ローテだけを取り出して比べられる並びには、そもそもなっていません。
馬齢でも数えました。斤量の面で有利な3歳で挑んだのは延べ8回。最高はキズナの4着で、2着以内は一度もありません。2着4回はすべて4歳以上です(4歳で3回、5歳で1回)。斤量では有利なはずの3歳が結果を出していないことになりますが、3歳の遠征は8回しかなく、しかも初期はほとんど古馬しか行っていません。標本が小さいうえに偏っているので、傾向というより「まだ足りていない」と読むほうが正確でしょう。
もうひとつ目についたのが頭数です。日本馬が3頭以上出走した年(2014年、2019年、2022年、2025年)の最高着順は順に6着、7着、11着、5着。2着4回はいずれも日本馬が1〜2頭だけの年に出ています。4年分の観察なので偶然の範囲ですが、「厚みで押す」という発想がまだ結果に結びついていないのはたしかです。
「力が足りない」で片づく話ではない
よく見かけて、いちばんデータの裏づけが弱いのが「日本馬は世界レベルに達していない」という見方です。日本馬はドバイや香港、ブリーダーズカップの芝G1を勝っていて、2023年にはイクイノックスがロンジン・ワールド・ベストレースホースランキングで1位になりました。凱旋門賞を史上最多の8勝しているアンドレ・ファーブル調教師は、2025年にこう話しています。「ここ数年は、特に中距離以上で、日本の馬をリスペクトするようになりました。彼らに勝つのは容易ではありません」
現場の当事者も、敗因を馬の力に置いていません。2012年にオルフェーヴルがソレミアへクビ差で敗れた直後、池江泰寿調教師は「日本の三冠馬が世界のトップレベルにあることは証明できたと思います」と述べたうえで、続けて自分の技術がまだ世界レベルになかったのではないか、と語りました。
そのイクイノックスは凱旋門賞に向かわず、国内で秋を戦う道を選びました。能力そのものを疑う説は否定できても、「その年の最強馬が行っていない年がある」という派生形のほうは残ります。こちらは確かめようがないので、否定も肯定もできません。
強い順にもう一度置き直します。斤量には制度としての裏づけがありました。馬場は、日本とは物差しそのものが違っていました。ローテと現地経験については、数え上げのパターンが見えるだけです。どれも38回の上に乗った話で、検定に耐える数ではありません。56年かけて見えてきたのは、勝てない理由がひとつに絞れないという、あまり歯切れのよくない答えのほうです。